艦これとは何だったのか 五年後になって思うこと 4

 前節までで、艦これ自体の成功の理由をちょっと考えてみた。この節では艦これの歴史性について述べると前節で予告したが、疲れたので述べられなかった。下はおまけみたいなものだ。読まない方が良い。

 

ぶっちゃけ、艦娘はある種の倫理的な問題に抵触しないのだろうか。

 

勿論、法的には「艦娘」は(DMM.comであれ角川ゲームスであれ)艦これ運営の著作物であり、一切の権利は艦これ運営にある。何故なら、くどくも繰り返すように、「艦娘」は名前を借りただけのキャラだからだ。裁判で「艦娘」の著作権について争っても、誰も勝てないだろう。

 

しかし、前節の「社にほへと」の所で述べたように、法的な問題がクリアされてもある種の問題は残るのではないだろうか。

 

筆者の友人が、テレビで「家庭教師の〇ライ」のCM、あの「アルプスの少女ハイジ」のアニメ映像に面白おかしいアフレコを施したCMに、憤慨していた。 曰く、「これを観て、絶対不快に思う人がいる筈や」と。

 

無論、あのCM映像は会社が放送局や製作会社と提携なりなんなりして正当な権利を勝ち得た上で製作しているものであろうから、法廷で争っても残念なことに友人に勝ち目は無かろう。もし原作者のヨハンナ・シュピリが蘇生して、あのCMに不満を抱き、法廷で争ったとしても、勝ち目はひくいだろう。

 

それには著作権が死後数十年で切れるという問題の他に、やはり艦娘とアナロジカルな構造があるのではなかろうか。ト〇イの「ハイジ」は、(家族的な?)類似性で繋がっているとはいえ、原作のとは最早別の「ハイジ」であるのだから、とやかく言われる権利はない、と。

 

まあ、確かにそうである。

艦を実際保有したままの大日本帝国海軍がもし現行の法体制下で艦これ運営と争ったとしたら、どうだろう。筆者は法学に明るくないどころか真っ暗なので、よく分らないが、やっぱり相当厳しいのではなかろうか。

 

しかし、気持ちの面ではやはり何か納得できない部分があるのも事実だ。

 

それはやはり「そうは言いつつも、お前がその類似性を利用してんじゃん」という所に起因するのだろう(法律的にもそこから叩けるかもしれない)。

 

 

 

また、今思いついたちょっと面白いかもしれないことを書いておく。

もし運営が艦娘と艦の関連性を否定したならば、取り残されるのは何者だろうか。そう、艦娘自身である。彼女たちは明確に一人称で「大和です」「赤城です」と名乗る。運営からもプレイヤーからも見放されても、彼女たちだけは艦の名前を以て自らを表明し続けるのだ。しかし、興味深いのは、彼女たち自身の自己認識においても、「艦」=「艦娘」とは了解されていないらしいことなのだ。何故なら、彼女らの自己紹介文には、ある種の客観性が認められるからである。

ある艦娘の自己紹介文を見てみよう。

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私、加賀は八八艦隊三番艦として建造されました。
様々な運命のいたずらもあって、最終的に大型航空母艦として完成しました。
赤城さんと共に、栄光の第一航空戦隊、その主力を担います。

 

少しだけ不思議な文章である。二文目まで過去形、最終文は現在(もしくは未来)形だが、これは「加賀」という空母のモノローグとして読むことも可能であろう。ただ、一・二文目はやや客観的な視点からの物言いになっていることに、一抹の違和感がある。

では彼女が言及している「赤城さん」はどうだろう。

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航空母艦、赤城です。
空母機動部隊の主力として快進撃を支えます。
日頃鍛錬を積んだ自慢の艦載機との組み合わせは、無敵艦隊とも言われたんです。
慢心…ですって?
ううん、そうかなあ……気をつけますね。

 

これもちょっと不思議だ。三文目の過去形の使い方はまるで「今は無敵艦隊と言われていない」こと、即ちミッドウェー海戦後であることを示唆するかのようだ。

 

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最終量産型艦隊駆逐艦の一番艦。舞鶴生まれよ。
惨敗のミッドウェー海戦が初陣よ。いいじゃない、別に。
あの島への鼠輸送やケ号作戦、南太平洋海戦、キスカ撤退作戦などで奮戦したわ。ふう。

 

これはかなり確信犯的な言葉遣いである。彼女の言い方からして、この発言が「戦後」(つまり現実の「夕雲」という艦の戦没後)に為されたものである可能性は高い。

 

しかし一方で、全く「戦後らしさ」を感じさせない人もいる。

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天龍型1番艦、天龍だ。
駆逐艦を束ねて、殴り込みの水雷戦隊を率いるぜ。
相棒は、同型艦の龍田だ。
あいつ、ちゃんとやってるかな?ま、いいけどな。

 

過去形がみごとに一文も含まれていない。しかしこれは自己紹介文ではむしろ少数派である。

 

どんどん行く。

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次世代の水雷戦隊の旗艦として設計&建造された阿賀野軽巡洋艦、その長女、一番艦の阿賀野よ。
とってもとっても高性能なんだから!
見てよ、この洗練された体…今度はゼッタイ本領発揮しちゃうからね。

 

「今度は」というフレーズは、生まれ変わりのような何かを意味するのだろうか。

 

非常に特徴的なのが、この人。

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数ある特型駆逐艦の中で、最後まで生き残ったのが、響。
転戦の後、あの大和水上特攻時には修理で同行できなかったんだ。
賠償艦としてソ連に引き渡され「信頼できる」という意味の艦名になったんだ。

 

決定的に、議論の余地なく「戦後」である。

 

この人に至っては。

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航空運用能力を付与された航空戦艦、日向だ。
レイテでも奮戦したぞ。
戦略物資輸送作戦「北号作戦」も思い出深いな。
ああ、そうだ、海自のDDH「ひゅうが」に名は受け継がれている。

 

お前はwwいったいwwどんな立場で喋ってるんだwwwwwww海自のDDH「ひゅうが」就役は実に2009年である。

 

図らずも艦娘の紹介コーナーの様相を呈してしまったが(図ったのだが)、何が言いたかったのかと言うと、艦これそのものが意外と強く(「艦娘」=「艦」とは異なる形で)「艦娘」による「艦」との関係性の自認を描いてしまっているということだ。これは、艦娘が「自分=艦と思い込んでいるやばい娘」のように描く場合より、より言い逃れしにくいものになるかもしれない。勿論この場合にも、艦娘を「自分と艦の間には何らかの関係性があると思い込んでいるやばい娘」として逃れることは出来るのだが。

 

何であれ、このように「艦娘」を「娘」として記述することの限界性は強く感じられる。「艦娘」の不思議さは、それ以外のどのような言葉を用いて記述しようとしても無理が生まれることにあるかもしれない。その理由はといえば、やはり「艦娘」の存在論的な定義があまりに不明瞭であることにあるのだろう。与えられているのは容姿と、声と、台詞のみ。あとは全て「歴史」に担保された膨大な情報だけで、しかもそれと「艦娘」自身の繋がりは覚束ない。これは結局、現実参照型ゲームが陥らざるを得ない穴なのかもしれない。しかし、FGOのキャラは「サーヴァント」という存在のありようが一応しっかりしているらしい。筆者はFate はstay/nightを観ただけでFGOをやってないので分からないが、今度暇があったらプレイしてみよう。

 

あと、こういうSNSによる物語産出を必須燃料とした現実参照型ゲームの普及は、ゲームのみならずあらゆるエンタメ・コンテンツ、ひいてはもっと大きな何かに最近底流するとか言われている「文脈消失」のトレンドと強く相関しているんじゃないかと妄想しているのだが、また今度なにかの機会に読んでくだされば幸いです。

 

ありがとうございました。