艦これとは何だったのか 五年後になって思うこと 3 「歴史との相性の良さ」と、「2013年」の意味

注*本節とくに後半部分において、歴史的に繊細な問題を孕むと思われる話題を取り扱っています。筆者は特定の個人の気持ちを害することを目的としてこれを書いた訳ではありませんが、お読みになって不快な思いをされた場合は、読み進めずその場で読むのをおやめになることを推奨します。不愉快に感じられる方がおられましたら、心からお詫びいたします。

 

 

ここでは、ソシャゲーというコンテンツそのものが持つ「歴史との親和性」と、艦これが孕むセンシティブな問題について考える。

 

艦これがブラウザゲーム界に確固たる地位を確立した後流行ったのが、やはりDMM.comからリリースされた「刀剣乱舞」だった。このゲームでは、「審神者」と呼ばれるプレイヤーが「刀剣男子」を集めて敵と戦う。

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刀剣男子の例。筆者の姉がハマっていた

何かに似てはいないだろうか。

 

いうまでもなく艦これである。

 

実際、リリース当初から、刀剣乱舞は艦これのプレイシステムを盗用(流用?)しているとして厳しい批判を受けた。しかし筆者は、刀剣乱舞が盗用(流用?)した中で最も核心的なものは、プレイシステムなどではなく、「刀剣男子」だと思う。

 

「刀剣」でもなく、「男子」でもなく、彼らは「刀剣男子」なのだ。

 

また、同じくDMM.comの「文豪とアルケミスト」や、その背負う文脈には違いがあるが「Fate/Grand Order」などにも同じ力学が働いていると言えるのではないだろうか。それらのキャラクターはその名によってある歴史上の事象、対象を背負っている一方で、それら自身とは違う存在として描写されている。

 

これらのキャラクターに通底する特徴は、何だろうか。そう、それらは「歴史上の」ものだということだ。「文豪と~」の企画者は、歴史ものがウケたために文学ものへシフトしたと語っているそうだが、これも取りあえず「同時代的ではない」という意味で歴史に含めてしまうことを許してほしい。

 

この一致は偶然なのだろうか。筆者はそうではないと考える。何故なら、こうした現実参照型ゲームと「歴史」の親和性はきわめて高いと考えるからだ。

 

同じくDMMが出そうとしていた「社にほへと」というゲームを見てみよう。このゲームにおいて「艦娘」や「刀剣男子」にあたるのは、「社巫娘」という、神社を擬人化したキャラクターである。彼女らは神社であって神社ではない。しかし、このゲームは発表当初から厳しい批判を受けた。当時の雰囲気は、以下の記事に詳しい。

神社本庁も「これはちょっと……」と漏らした。「DMM GAMES」新作『社にほへと』から考えるオタクの信仰|おたぽる

 

現実の「神社」そのものに「萌え」を持ち込むのみならず、レアリティによって「神社」に差を付ける行為に、神社関係者が良い顔をしないのは当然であろう。

 

一方、これに対するDMM側の反論も、ある意味きわめて正当な主張である。

 

1.「社(やしろ)」の擬人化について
本ゲームは「神社」をイメージした「フィクション」である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません。また、実在する地域や神社等の関係性につきましても、一切関係がございません。
2.事前登録おみくじについて
事前登録おみくじは、結果の運勢に「社(やしろ)」が紐づいているものではなく、結果の運勢についてキャラクターが説明しているものになります。

 

 

当然であろう。キャラたちは「名前」を借りているだけの存在なのだ。現実に存在する同名の対象物との関連は、あくまでもプレイヤーによって産出されるべき代物である。運営はそれに何ら責任を負うものではない。

 

しかしそれには二つの問題がある。一つは、それはあまりに苦しい言い逃れであるということ。運営が確信犯的にその「名前借り」を行っている以上、法的には問題なくとも倫理的には大きな問題が提起されることを覚悟せねばならないだろう。

もう一つは、プレイヤーとの関係である。プレイヤー/クリエイターに無限の創作を可能にさせているのは、運営が口をつぐんでいるという事実だ。沈黙するということは、一つの答えを言わないと同時に、あらゆる答えの存在を肯定する行為でもある。「関係性は存在しません」と言ってしまった時点で、それは一つの(「関係ない」という)関係性を提示してしまったのであり、プレイヤーによる世界産出のシステムは機能しなくなり、ゲーム自体が駆動力を失い、コンテンツは消失してしまうのだ

 

では何故「社にほへと」は失敗し、他の「歴史もの」現実参照型ゲームは成功したのか。それは、「社にほへと」が参照しようとしたのは、現在の現実であるからだ。「出来事」として、今現に生きられている現実だからだ。当然そこには様々な人が現在進行形で関わっている。それとの密接な関係の中で日々を送っている人々が大勢いる。それを外部の人間が勝手に物語化するのは、やはりタブーだ。

 

「歴史もの」現実参照型ゲームが参照するのは、過去の現実である。それもナマの過去ではなく、既に物語化された、もはや生きられることのない「歴史」である。それを再び物語化することへの抵抗は、上の場合と比べて、ずっと少ない。だからこそ、現実参照型ゲームは「歴史」との相性が良い。

 

しかし、しかしである。艦これの場合、それほどすんなり行く話ではない。なぜなら、艦これの扱う歴史は、刀剣男子やFGOの扱うそれと比べて、あまりにも近いのだ。その時代を生きた人が、我々の現実に大勢いるのである。その意味で、艦これの物語は完全な物語ではない。これは「文豪と~」にも言える話ではあるが、やはり艦これの背負う問題の大きさは、「文豪と~」のそれをある面で凌駕していると言えるだろう。何故なら、それが扱う歴史は、戦争の歴史だからだ。

 

一つの象徴的な事例を挙げよう。

艦これ「生みの親」 週刊誌掲載の元乗組員の感想に感慨無量│NEWSポストセブン

 

これは、「矢矧」という「艦」の乗組員が、実際にその出来事を生きた人が、「艦娘」という存在と歴史参照型ゲームのありようを肯定した例である。「矢矧」はこの当時レアリティの高いキャラクターだったこともあり多くのプレイヤーの印象に残り、運営もこのニュースを盛んに喧伝した。

 

その一方で、確証は採れなかったのでリンクは貼れないが、艦これにも登場する水上戦闘機「瑞雲」の元搭乗員が、艦これのゲームそのものではないが関連のイベントとして「瑞雲」の模型を展示することに批判的な意見を表したというニュースがある。のみならず、艦これに批判的な意見は多い。

 

では何故、艦これは成功したのか。それは筆者の考えでは、艦これサービス開始当時、その出来事を生きた人間が圧倒的少数であったからだ。

 

思えば、筆者の幼少期、「戦時中は子供だった」老人はまだまだ結構周囲に多く居られた。親が言う言葉は「私たちの小さい頃には、兵隊さんだった人が多かったんだよ」であった。しかし今日、筆者自身が成人を迎えた(!)今日、親になった人が子供にかける言葉は、もはや違うものだろう。「私たちの小さい頃には、戦争の時に生まれた人が多かったんだよ」になるだろう。つまり、我々が「兵士として戦争を経験した人」を知らないという断絶を経験したのと同様に、今の時代の子供は「戦争を経験した人」を知らないという断絶を経験しているのだ。

日本人の平均寿命は男女の中間をとるとだいたい83。今年は戦後73年目であるから、戦争を小学校一年生~四年生くらいに経験した世代の方々が、統計的な寿命を迎えていることになる。2013年では中学生~高校生くらいであろう。学徒動員の年限にかかったかかからなかったかくらいの年である。つまり2013年とは、兵士として戦争を経験した最後の世代のぎりぎりの年だったということになる。

勿論、これはあくまで平均値によるいい加減な計算なので、これ自体に何の根拠もない。だが、結果的に見て、艦これがもし十年早くリリースされていたら、それは成功しただろうか(勿論、2003年には二次創作の豊富な産出に不可欠なSNS等の発達が不十分なので、この問を立てること自体がナンセンスなのだが)。

 

艦これが受け入れられたのは、多分にタイミングの妙によるものが大きいと思う。もし十年後にリリースされていたとしても、――この場合先ほどの予想よりもよほど確度は下がるが――、やはり艦これは「受けなかった」かもしれない(理由は敢えて述べない)。

 

実際、艦これが受けるかどうかというのは、五年後の今になって考えられることだったが、社会全体に突き付けられたある種の大挑戦だったかもしれないのだ。”あなたはこのような「歴史」を受け入れられるほどに「戦後」になっていますか”という――。

 

或いは、このように言うことができるかもしれない。艦これが出た当初、我々はそれを「萌え×軍事」というコンテンツだと思ったのだ。何故なら、そのようなものは艦これ以前にも多く存在していたから。しかし本質的にそれは、「萌え×歴史」であった、と。

 

実際として、艦これは大成功を収めた。「五万人くらいやってくれたら御の字かな」とスタッフが思っていたゲームは、四百万人を超えるプレイヤーに受容されたのである。

 

 

次の章では、艦これを通しての歴史性と種々の問題について考えてみる。