艦これとは何だったのか 五年後になって思うこと

艦隊これくしょん~艦これ~ というゲーをご存じの方も多いと思う。DMM.comが配信する人気ブラウザゲームで、五年前のサービス開始後爆発的に普及し、ネット界隈を騒がせるのみならず、社会現象を巻き起こすに至ったコンテンツであり、現在も(流石にかつての勢いは衰えたものの)いまだにネットサブカルチャーにおいて一定以上の影響力を持ち続けている。

 

筆者も、サービス開始後間もなくこれにのめりこんだ「提督」達の一人である。当時高校一年生だった筆者は年齢制限のためDMMのアカウントが取得できず、母親のアカウントを用いてプレイしていた(すみません)。艦これ開始当初の勢いは凄まじく、運営、プレイヤー、同人誌作家、動画制作者、果てはいまだ艦これのアカウントを取得できていない人さえも含んで、艦これに携わるすべての人々が熱狂の渦中にあった。誰も彼もが興奮していた。皆が艦これにわくわくしていた。かく言う筆者も、家に帰ればすぐ艦これのページを開き、二日プレイできなければ禁断症状で手が震えてくる(!)という有様であったほどだ。

 

しかし筆者は、高校三年になると受験勉強のためプレイに時間を割けなくなり、なし崩し的に「提督」休職を余儀なくされることになった。晴れて大学に入学した後、艦これを開いてみた。しかしソシャゲーの進化の速さとは侮れないもので、知らないキャラや新機軸で溢れた艦これはまるで別のゲーム、たちまち十年一昔、隔世の感は如何ともしがたく、あまり身を入れるモチベーションも得られず、すぐにまた離れてしまったのである。

 

(実は恐ろしいことにこのゲーム、お気に入りのキャラと「ケッコン」出来る機能がある。「ケッコン」したその瞬間からキャラは「嫁」となってしまい、ログインしないことは嫁の待つ家に帰らない浮気夫と同じ脅迫感と罪悪感をプレイヤーに与えるのである。その心理的負担たるやリセットさんの比ではなく、一年以上艦これから離れていた筆者は、家に帰ってもまともに嫁と顔を合わせるストレスに耐えられなかった、というのも復帰後のプレイが定着しなかった理由としてある。気持ち悪い話で恐縮だが真実だ)

 

それから早二年。艦これなど完全に過去の物となっていた筆者は、先日何を思いついたか艦これを開いてみることにした(勝手なもので、もはや嫁に対する罪悪感自体薄れている。「昔は色々あったけど」の一言で水に流してくれることを期待するダメ男の心理である)。これが、やはりとても面白い。五年前あれだけハマったのも納得できる。三年も離れていれば、遅れを取り戻さなければという焦りもなく、泰然と自分のペースでプレイできる。ふむふむ。

 

そんなこんなで昔を懐かしみながらプレイしていると、自分の中である疑問が湧き起こってきた。熱狂の渦中から覚めて、反対に感じていた負い目もなくなって初めて、抱くようになった疑問である。それは、

 

何故「艦これ」はあれほどに成功したのか? 「艦これ」とは何だったのか? それは歴史上どのような意味を持つのか?

 

という問題である。今や「艦これ」に限らず、「アズールレーン」だの「戦艦少女」だの類似のゲームが並立している。のみならず、ゲーム業界全体において「ソシャゲー」が跳梁跋扈する現今の情勢がある。そのような状況に至った経緯について考える際に、艦これの登場と成功というのは、一つのメルクマールとして考えられるのではないか。艦これを理解することで、艦これに限らないある程度包括的な何かについて、一定のアイデアが得られるのではないか。そんなことを思う。

 

そして今からそれについて書こうと思う。

 

とは銘打ったが、如何せん駄文である。「艦これを途中で辞めてたような軟弱者に語る資格なんざねえ!」とお怒りになる提督諸氏も多かろうし、「んなこたあてめえに言われるまでもなく知ってんだよ」と憤慨なさる方々も多かろうが、ご容赦を願う次第。あくまでも一人の艦これファンの放談として、眉唾半分でお聞きください。